Good-by
Pallida mors aequs pulsat pede pauperum tabernas,Regunque turres.
Pallida mors aequs pulsat pede pauperum tabernas,Regunque turres.
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「美(うるわしき)もの見し人は」 堀田善衛氏のエッセー集です。
新潮社版と朝日選書版双方が出版されていましたが、どちらも現在、品切れの模様です。
図書館ないし、同氏の全集で読まれることをお勧めします。
特に「黙示録について」には考えさせられました。
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1 疑惑について
例の有識者ヒアリングで、櫻井よしこ女史が「悠仁親王殿下ご誕生に際しては、両陛下のご意向」云々という奇妙な発言をなさってます(同議事録と配布資料参照。)。
これは、彼女の個人的見解に過ぎませんが、ご懐妊の時期やその後の東宮ご一家に対する異常なバッシングをみると、本当に作為的なものはなかったのか疑いが生じます。
そして、国家の根幹にかかわる法律について、慎重な手続きを経て、まさに国会に提出されようとしているときに、「何らかの作為」が行われたとするなら、それは憲法2条を踏みにじるといわれても仕方がないでしょう。一般国民夫婦間の受胎・出産とは次元が違う問題です。
2 不徳なお振舞い
1はあくまでも疑惑に過ぎません。しかし、その後の、東宮ご一家に対する誹謗・中傷は異常です。ある週刊誌は敬宮殿下の警備担当者の写真まで掲載しましたが、これは許されることではないです。それなのに、両陛下は男児を儲けなかったという理由かどうかは存じ上げませんが、東宮ご一家と距離を置いておられるご様子。いやそれどころか、むしろ退けておいでのご様子。
日嗣の皇子に対するお仕打ちとしては、あまりなお仕打ちです。
これが不徳でなくてなんなのか。
3 皇統の危機は回避されていない
現状では、いずれ男系男子は(旧宮家復帰とやらをやらかさない限り、)悠仁親王殿下お一人になります。危機は回避されていないのです。
皇統の安定を考えれば、いまから、男女を問わない直系第一子優先主義に典範を改正し、将来の皇統断絶に備えるために、秋篠宮系三宮家、三笠宮系五宮家(一名の方は適格性に疑義があるので、4宮家でもよい。)の八ないし七宮家を創設し、女系承継も認めた方が良いと考えるのです。
どうしても、「男系」だけは譲れないというのであれば、畏れ多いことですが、内親王殿下や女王殿下のご正配に、旧宮家を初めとする「皇男子孫の末裔」をお迎えすればよいと思うし、八ないし七宮家も創設してしまうと将来の皇族数が増えすぎる危惧を生じるというなら、現行の永世皇族制度を見直して、皇籍離脱の準則を整えればよいと思います。
4 東宮妃殿下派と秋篠宮妃殿下派というマスコミが作った不毛な二項対立
私は、いまの東宮ご一家に対する両陛下のお振舞いや俗悪メディアによるバッシングがひどいと思うから、意識的に東宮家を擁護(こんなことを申し上げるのは僭越ですが。)しておりますが、本音を申し上げますが、別に秋篠宮妃殿下が嫌いとかそういうことではありません。
拙ブログをお読みいただければ理解して頂けると存じますが、例のご懐妊について疑問を呈した以外は、秋篠宮殿下は当然のこととして、同妃殿下に対してもなんの個人攻撃も加えておりません。
むしろ、不敬であることを承知で、東宮ご一家に対する両陛下のお振舞いを問題視しているのです。
その点、誤解のないようにお願いしたいです。
5 旧宮家復帰論について
繰り返し申し上げていますが、内親王殿下や女王殿下のご正配として、旧宮家や皇別摂家にゆかりのある方をお迎えすることは何ら反対しません。
むしろ歓迎すべきことであるとすら申せましょう。
しかし、男系男子承継を維持するため、養子や廃絶した宮家の再興という形式で、旧宮家末裔の方が復帰されるというのは反対です。
かえって、皇室の尊厳を傷つけるように思われます。
ここまで言うのは少数派でしょうが、どうしても、男系男子を維持したいのなら、私は「側室復活」に反対はしません。
そのほうが「伝統」にも適合します。
大正天皇のご生母は側室でいらっしゃいましたが、大正天皇は、ご病弱ながら熱心に政務に励まれましたし、漢文の素養もおありになり、能筆で、和歌もお上手でいらっしゃいました。
そこまでの覚悟もないのに安易に、「男系男子主義堅持」、「旧宮家復帰」、」「皇位継承資格復活を目的とする養子解禁論」とか無責任なスローガンを吐かないで頂きたいです。
6 いわゆる皇族間養子解禁論について
現行典範制定時の貴族院や衆議院の公式議事録や、立案当局作成に係る想定問答集などを参照しても、当時の立法者は「皇族間の養子」も認めない趣旨であったことが明確で、しかもこれは旧典範42条以来の沿革にも適合し(長くなりすぎるので割愛しますが。)正当な理由があります。特定男性皇族を念頭に置いた、一部有識者が唱えておられる「皇族間養子解禁論(現行典範9条部分的改正論)」にも警鐘を鳴らしておきます。
7 結論
私は、「制度としての皇室と皇統皇位を守りたい。」、「東宮ご一家を理不尽なバッシングから御救い申し上げたい。」ただ、それだけなんです。単純な動機なんですよ。しつこいけど、皇室に対する忠誠心だけは疑わないでいただきたい。
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本日以降、仕事が忙しくなり、当面更新できませんので敢て「文学」の枠を超えた内容を掲載いたします。
1 皇族と人権
天皇、皇族の人権は否定されるという見解が有力ですし、それはそれ相応の理由があります。
しかし、上記の方々の人権享有主体性自体は肯定されるが、その特殊な地位に鑑み、その内容の一部が否定されたり、制限されたるするという見解も有力で、この立場に親和的な下級審裁判例もあります。
私も、考え方としては、後者をとるべきだと思います。
仮に前者の考え方によっても、皇族の方々の名誉権やプライヴァシー権は一定の限度で保護されてしかるべきです。
不敬罪規定の削除と引き換えに、刑法232条2項がおかれましたが、この内閣総理大臣による告訴は先例がなく、機能していません。
これでは、特定の皇族の方々のみを俗悪メディアのバッシングに曝すことが、千代田官僚の匙加減如何で可能になってしまいます。
現にそのような事態が生じているように見受けられます。
2 一部皇族の憲法尊重擁護義務順守に関する疑問
(1)明文のある(憲法99条)「天皇又は摂政」だけでなく、皇族方も、憲法尊重擁護義務を負っていると考えるのが、通常の理解です。
また、旧憲法、旧典範の皇室自律主義を廃し、皇位継承に関する事項も国権の最高機関(憲法41条)である国会が議決した「皇室典範」という法律(異説もありますが。)で定めることとした憲法2条は、立憲主義の根幹ともいえます。
成文憲法典のない英国でも、議会が国王から王位継承者選択権や指名権を剥奪したのが、立憲主義の出発点です。
ですから、橋本内閣時代から慎重に準備・検討された皇室典範改正案の国会提出寸前に不可解な懐妊劇を演じた特定皇族は信用できないのです(下記のように、寬仁親王殿下のお振舞いの一部も疑問。)。
このような、立憲主義および国家の根幹にかかわる法律案の提出前には、皇族のリプロダクションの自由は制限されてしかるべきであり、良識ある皇族方であれば「自制」遊ばされるでしょう。ところが、このような行為が賛美の対象となり、他方で、東宮ご一家が異常なバッシングに曝されています。
これは異常です。
(2)以上の理は、天皇・皇族の人権否定論からも正当化できます。近時の有力説によれば、「制度体保障がなされた以上は、憲法典が存在する限り、その身分的特権は保証される。『法人の人権』論と同じく、元来市民的法治国の観念には違背しているのだとしても。ただしそれは、普遍主義的な『人権』の論理ではなく、憲法律レヴェルにおいて飛び地のように保存された『身分』『特権』の論理であって、その反面として、かかる特権の故に身分的義務が伴う。そうした義務から解放されるために、『人権』を援用することは論理的に不可能である。」(石川健治著『自由と特権の距離』[増補版]日本評論社 2007年 236頁)と主張されています。
すなわち、「殿下」の敬称を受け(典範23条2項)、皇室用財産を無償にて邸宅用に提供され(国有財産法3条2項3号)、数千万を超える皇族費を無税で支給され(皇室経済法、同施行法、所得税法)、身辺警護、高度医療等の諸「特権」保障されている人物に、一般国民と同じ「リプロダクションの自由」(憲法13条後段)は保証されません。
単なる「マイホームパパ」とはおよそ次元が違う話なのです。まして、少子化問題などおよそ無関係です。
(3)なお、一部の「東宮さまに同情的なグループ」(東宮さまをお慕いする方々のスタンスは各人各様なので、こういうラベリングは適切ではないですが。)には、「皇室自律主義」の部分的復活を支持していらっしゃる方もおいでですが、そうした考え方には同調できません。ナイーブに過ぎるように思います。
あくまでも、君主も含めて、公権力の側にある人間の行動を厳格に規律することにこそ近代立憲主義の本質があるわけですから。
「今上陛下や皇太子殿下は、素晴らしい方だから、ある程度お任せしても大丈夫。」的な発想は危険です。
個々の天皇や皇族の人格が信用できるかとかそういう問題ではなく、公権力の側にある人間の行動を主権者たる国民が縛るという考え方が重要です。
様々な歴史の教訓が教えるように、人間は弱いのです。長期間権力や官僚機構と密接につながっていると、その人自身も徐々に変わってゆくことが多いのです。
立憲主義の根底には、「人間不信」があります。そして、歴史を直視する限り、その発想は間違っていません。
3 寬仁親王殿下に関連して
既に薨去後、一年を経過し、正式に同親王家は廃されることになったから申し上げますが、同親王の政治的発言はもっと問題視されてしかるべきでした。
彼にはいろいろな風評がありますが、故人を論難するのは好ましいことではありませんので、それらの点には敢えて触れません。
また、お名前は出しませんが、御長女の政治的発言も何とかなりませんかね。皇族でありながら、大新聞で「旧宮家復帰」を支持するかのような発言をなさったり、また、別の機会には「女性宮家推進」ともとれる発言をなさる等、率直に申し上げて、そのご見識を疑います。
現在ではVOICEの「豪華連載」陣のお一人として、竹田某氏や山内昌之氏らとともに、同誌に連載をお持ちですが、如何なものかと存じます。
仮に、今の皇室に不満があるなら、皇籍を離脱なさったらいかがでしょうか(現行典範11条1項)?
もっとも、彼女にそれだけの覚悟があるとは思えませんがね。結局は甘えているだけなんですよ。私の目にはそう映りますね。
4 お詫び
今回は激越な調子になりましたが、これも皇室のことを真剣に案じているからです。私利私欲はもとより、特定皇族が好きとか嫌いとかそういう軽い理由から書いている訳ではありません。
「国民主権原理」と緊張関係にある「皇室制度」を21世紀も御守りしたいから、僭越を承知で敢えて苦言を呈しているだけです。私情はありません。
ご不快にお感じの読者の方もおいででしょうが、お立場こそ違え、皇室に対する尊崇の念に偽りはございません。どうか皇家に対する忠誠心だけは疑わないで頂きたいと存じます。
仕事の関係で当面更新できませんが、これで失礼いたします。
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司馬光は「天子の務めは礼を行うことにある。」と申しました。
確かに、天子さまが、礼を守らないようでは、その国は立ち行きません。
そして、礼というものは本来双方向性を有すると思うのです。
「子の親に対する礼」があれば、他方で、「親の子に対する礼」もあると思うのです。
明王朝を事実上、滅ぼした神宗万暦帝という皇帝がいます。彼は、皇太子を嫌い、愛する妃の生んだ皇子を皇位につけようとし、官僚に猛反発されたため、政務を放棄するという行動に出ました。
このような振舞いが許されるはずはなく、彼の親政時代から明朝は奈落の底へ突き進むことになります。
皇位継承は国家の根本であり、決してゆるがせにはできません。
そして、直系長子承継の原則は崩してはなりません。
畏れ多きことながら、両陛下は、万暦帝と反対に、官僚層やその事実上の支配下にあるマスメディアに過剰に取り入ることにより、廃太子という想像するだに恐ろしい行為を推進されているように思えてなりません。
臣としてこのようなことを口にするのは、僭上の沙汰であり、まさに恐悦恐懼、頓首頓首、死罪死罪とでも申し上げるほかないですが、そういう疑念を抱いてしまうのです。
「後輩が先輩に対する礼、生徒が先生に対する礼、子が親に対する礼、それらは嫌になるほど私たちは教えられてきたし、また、多少、それを遵奉してきたつもりであるが、しかし先輩が後輩に対する礼、先生が生徒に対する礼、親が子に対する礼(下線部引用者。)、それらは私たちは、一言も教えられたことはなかった。」
太宰がこの文章(如是我聞)を著した当時は、一般国民でもそうでしたが。現在でも「人権の飛び地」地帯である皇室内部では、同様の状態なのではないでしょうか?
だとすれば、背中が凍りつくことです。実に恐ろしいことです。
絵空事でなく、日本国の根幹にかかわります。
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初心に帰って、また、太宰に戻ります。
彼は如是我聞 四 で、有名な志賀直哉批判を繰り返していますが、それは「天皇制」という制度に通じるものがないではない。
科挙制度を採用しなかった日本では、堂上家の地位は代々世襲が原則で、養子承継を含みつつも、千年近くにわたり、主上近くにお仕えする家柄は固定化されておりました。
それと同様に、文壇、学問の世界、宗教界、芝居の世界などにおいて、既に老いさらばえた爺様を神輿として祭り上げ(何とか先生門下生とか称する取り巻き連中が)、有能な若手を潰しているという悲惨な病理現象は、今日でもまま見られます。
要するに「序列」が絶対なんです。
志賀直哉は当時、最長老だったこともあり、日本文壇の「天皇」のごとく、あがめられ、オケラのような醜い追従者にかしずかれていました。
私は、太宰の「斜陽」はあまり評価しませんが、志賀の「斜陽は閉口したな。華族の娘が山出しの女中のような言葉を使う。」云々発言はひどいと思うし、それに追従する作家陣もどうかしていると思う。太宰の肩を持つわけではないが、彼は青森生まれだし、富裕層だったとはいえ、真の華族の生活は知らない。内容を批判するのはともかく、その点を突くのはいかがなものか。
その点、太宰の怒り爆発はよく解る。
敢えて名前が挙げませんが、スポーツの世界なんかでも出やすいですよね○○天皇が。
あと、日本共産党とかいう組織にも長年、天皇のような存在がありましたね。
どうも、今の皇室にはそういう天皇制の負の面を感じるんですよ。千代田官僚にとって担ぎやすい存在を盛り立てるため、ご高齢の陛下を利用しているというような、そういう独特な腐敗臭を感じるのです。
杞憂であることを願うばかりです。
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森鴎外「かのように」は山縣有朋が直面していた問題意識を踏まえて書かれたもので、今日皇室を考えるうえでも、貴重な視座を含んでいます。
鴎外らしいいやらしさもありますが、勉強させられる作品です。
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泉 鏡花の初期代表作です。
正直「グロ」いですが、その後の鏡花作品のエッセンスが詰まっているように思います。
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いきなり、原文は困難でしょう。
とはいえ、漫画から入るのはさすがにどうかと・・・。
やはり、与謝野晶子訳と円地文子訳をお勧めいたします。
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横光 利一「機械」と川端康成「眠れる美女」は、どちらも知名度はあまり高くありませんが、お勧めです。
後者は能の「江口」をモティーフにしているので、その観点からも楽しめます。
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