たおやめぶり


再び如是我聞へ。

2013年06月16日 00:12

如是我聞は、通常、志賀直哉に対する意趣返しの書と理解されていますが、全体を精読すれば、そんな単純なものでないことは明白です。

とりわけ、「二」の学者批判は極めて今日的で。考えさせられます。

以下、特に印象深い部分を引用します。

「田舎者の上京ということに就いてを考えてみよう。二十年前に、上野の何とか博覧会を見て、広小路の牛のすきを食べたというだけでも、田舎に帰れば、その身に相当の箔がついているものである。民衆は、これに一目置くのだから、こたえられまい。」

「外国へ行くのは、おっくうだが、こらえて三年おれば、大学の教授になり、母を喜ばすことができるのだと、周囲には祝福せられ、鹿嶋立ちとか言うものをなさるのが、君たち洋行者の大半ではなかろうか。それが日本の洋行者の伝統なのであるから、碌な学者の出ないのも無理はないネ。」

最近でも、やたらとうれしそうに、「この夏はワシントンへ行くんです。」とか、「帰国したばかりなので、文意が要領を得ない。」とか、気取った文章を書かれる学者さま方って多いですよね。そうそう、その外国でも忘れられていた「偉人」の墓を発見したのを誇っていた方もおいででしたっけね。

太宰が要領よくまとめてくれてます。

「所詮は、ただうれしいのである。上野の博覧会である。広小路の牛がおいしかったのである。どんな進歩があったろうか。」

「慇懃と復讐。ひしがれた文化猿。」

「みじめな生活をして来たんだ。そうして、いまも、みじめな人間になっているのだ。隠すなよ。」

「分を知ることだよ。繰り返して言うが、君たちは、語学の教師にすぎないのだ。所謂『思想家』にさえなれないのだ。啓蒙家?プッ!ヴォルテール、ルソオの受難を知るや。せいぜい親孝行するさ。」

「洋行するよりは、貧しく愚かな女と苦労することのほうが、人間の事業として、困難でもあり、また、光栄なものであるとさえ思っている。」

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