たおやめぶり


文学と天皇というシステム。

2013年06月26日 01:37

初心に帰って、また、太宰に戻ります。

彼は如是我聞 四 で、有名な志賀直哉批判を繰り返していますが、それは「天皇制」という制度に通じるものがないではない。

 

科挙制度を採用しなかった日本では、堂上家の地位は代々世襲が原則で、養子承継を含みつつも、千年近くにわたり、主上近くにお仕えする家柄は固定化されておりました。

それと同様に、文壇、学問の世界、宗教界、芝居の世界などにおいて、既に老いさらばえた爺様を神輿として祭り上げ(何とか先生門下生とか称する取り巻き連中が)、有能な若手を潰しているという悲惨な病理現象は、今日でもまま見られます。

 

要するに「序列」が絶対なんです。

 

志賀直哉は当時、最長老だったこともあり、日本文壇の「天皇」のごとく、あがめられ、オケラのような醜い追従者にかしずかれていました。

私は、太宰の「斜陽」はあまり評価しませんが、志賀の「斜陽は閉口したな。華族の娘が山出しの女中のような言葉を使う。」云々発言はひどいと思うし、それに追従する作家陣もどうかしていると思う。太宰の肩を持つわけではないが、彼は青森生まれだし、富裕層だったとはいえ、真の華族の生活は知らない。内容を批判するのはともかく、その点を突くのはいかがなものか。

その点、太宰の怒り爆発はよく解る。

 

敢えて名前が挙げませんが、スポーツの世界なんかでも出やすいですよね○○天皇が。

あと、日本共産党とかいう組織にも長年、天皇のような存在がありましたね。

 

どうも、今の皇室にはそういう天皇制の負の面を感じるんですよ。千代田官僚にとって担ぎやすい存在を盛り立てるため、ご高齢の陛下を利用しているというような、そういう独特な腐敗臭を感じるのです。

 

杞憂であることを願うばかりです。

—————

戻る