「大日本者神國也」で始まる神皇正統記は、一般には伊勢神道の強い影響下で、南朝の正統性を主張した書とみなされています。
確かに、そのような理解もできます。
しかし、彼が一貫して訴えているのは、「不徳の皇統は断絶し、有徳の皇統に移行する。」という厳然たる事実でございます。
北畠親房は、立場上、南朝を擁護せざるを得ませんでしたが、彼の理論を突き詰めれば、南朝の消滅も説明できます。
そもそも後醍醐天皇は、大覚寺統でも傍系で、中継ぎとして践祚・即位なさったにすぎませんでした。
ところが、亀山法皇や後宇多上皇の遺志に反し、皇統皇位をご自身の直系にのみ継承させようとなさり、常盤井宮家や木寺宮家を冷遇なさいました。
そればかりか、武家の実力を軽視し、失政も繰り返されました。
南朝の内部抗争は、吉野時代になっても変わらず、長慶上皇と後亀山天皇はご兄弟でありながら、不仲というありさまでした。
これでは、いかに神器を伝えておられようが、皇統が北朝に移るのも理の当然と申せましょう。
そもそも、三種の神器は正統な皇位継承に伴って移転するのであり、三種の神器を保持しているから皇位にあることが正統化されるというのは完全に論理が逆転しています。
南朝は結局、一度も完全な形では京都を掌握できず、「即位」の儀式すら挙行できなかったから、北畠親房は三種の神器の所在をもって、南朝が正統と強弁せざるを得なかったのでしょう。その点では気の毒です。1392年以降も、南朝復興勢力により、三種の神器の一部が京都から奪われたことはありますが、結局、現皇統に復帰し、南朝復興勢力(いわゆる後南朝)は歴史の表舞台から姿を消しました。
これももとはと言えば、後醍醐天皇の「失徳」が招いたことです。
ご興味のおありのある方は、別の著者ですが、「中興鑑言」をお読みください。入手困難ですが、漢文の素養があればお読みになれましょう。
話は変わりますが、IOCという組織があります。
民間団体というのが味噌で、以前から買収や縁故採用などの噂が絶えません。絶大な権力を誇っておられたサマランチ氏は、フランコ将軍と握手している証拠写真まで残っている人物で、広義のファシストと評価されてもやむを得ない人物です。
現在、古代オリンピック以来の由緒ある種目であるレスリングが存続の危機に曝されている一方で、競技人口も減少し、人気も低迷している近代五種廃止の動きはありません。理由はいろいろありましょうが、、サマランチ氏の親族が近代五種に理事として関与しているからであるという風説も一部で囁かれいます。
敢えてお名前は挙げませんが、IOCの関係者で、ご先祖にかの731部隊に間接的に関わっておられた疑惑のある人物が、しきりに「旧宮家の復帰」を主張されているようです。ご真意は不明ですが、浅学菲才のわが身には到底理解不能です。
いかなるご事情があろうとも、一度、皇籍離脱なさったからには、天皇のご実子(宇多天皇)でもない限り、皇位を窺がう野心は放棄して、主御一人に対し、臣下として忠誠を誓う(確かに、様々な特殊事情から臣籍降下後に皇籍に服された例は古来より複数ありますが、それらは皇位を承継しないことを明示又は黙示の前提としていました。現に、臣籍降下後に皇籍復帰され、践祚・即位遊ばされたのは、上述の宇多天皇とその第一皇子の醍醐天皇の二例のみであり、これは例外中の例外であり、とても一般化できません。)のが我が国古来の伝統であります。
畏れ多くも、正統な天子さまから起算して十数代も下っており、しかも既に皇籍も離脱しているにも拘らず、皇位継承権を取り戻そうという発想自体、想像もできません。なんと恐ろしい世の中になったことでしょうか。
君臣の別の乱れは、必ずや国家の乱れを招きます。想像するだに戦慄を覚えずにはいられません。
簡潔にまとめましょう、
皇室典範改正が悪いわけではないのです、私も、男女を問わない直系第一子優先主義の形に改める典範改正ならばもろ手を挙げて賛成します。
他方で、現在、一部で強力に主張されている「旧宮家復帰」「養子制度解禁」などは、我が国古来の美徳である「君臣の別」を曖昧化しかねず、絶対に反対です。
それと同様に、私は憲法改正論議自体には反対はしません。問題なのはその内容です。私は、衆議院における「一人一票」(投票価値平等)の明文化や参議院の権限縮小、及び参議院改革(例えば、学識者議員を加える。フランスの元老院のように、地域代表的側面を強調する。職能別選挙制度にする。世代間格差是正のため、それぞれの年齢層から同数の議員を選出できるようにするなど、様々な改革案はあります。)であれば、改憲に賛成です。特に参院については、現行制度では、衆院のカーボンコピーであり、解散もなく議員数も少ないのに権限だけは強く、「理の府」としての独自の存在意義はありません。むしろ長期的には有害であるとすらいえます。
むしろ戦前の貴族院の方が、独自性を発揮しており、鎌田勝太郎議員のように、自らの属する階層の利害を超えて全国民の長期的利益を真剣に考えて、行動された議員も多かったように思います。戦前の貴族院議事録をみても、法案審議において、勅選議員を中心に、実に水準の高い審議が行われています。
参議院は、貴族院の後継者としてはあまりにお粗末な存在であり、今日こそ、貴族院は再評価されるべきです。
因みに、英国貴族院は、権限は縮小されていますが、学識者議員を中心に「世界で最も高水準の演説を聞ける場所」とも評されており、縮小されたとはいえ、法律の執行(施行)を一年間停止できるという軽視できない権限を依然として保持しています。
私は、憲法96条先行改正(この発想自体おかしいのですが、既に複数の良識ある有識者がその問題については指摘されておいでですので、ここではその問題には触れません。)の先にある、改憲の叩き台である自民党2012年改憲案の内容があまりにお粗末だから反対しているだけです。
繰り返しますが、改憲論議自体が悪いわけではありません。ただ、その内容が問題です。
同様に、典範改正についても、論議自体が悪いわけではありません。皇位継承に対する危機感も持っており、皇室の弥栄を心から念願しております。ですが、現在、一部で実に強力に唱えられている内容が「旧宮家復帰」だの「旧態依然たる養子解禁論」だの、一代限りの「女性宮家創設」だの、劣悪な内容だから反対せざるを得ないのです。
熟慮に熟慮を重ねた結果の結論である2005年有識者会議報告書案に則った皇室典範改正であれば、賛成します。
要は、「是は是。」「非は非。」ということでございます。以上です。