記事のアーカイブ
2013年06月24日 21:28
私は、政治的・思想的信念が自分と異なっていたり、著者の人生経歴が特異であっても、作品から感銘を受けた時には素直に感謝し、評価しております。
安部譲二氏は、特殊な経歴から、いまだ文壇から十分な評価を受けているとは評しがたく、また、思想信条において私と異なる部分もございます。
しかし、下記2作からは、考えさせられることが多かったので紹介いたします。
①「渡世の学校」 リイド社
②「RAINBOW 二舎六房の七人」原作 安部 譲二 作画 姉崎正澄 小学館
①は、彼独自の人生哲学を述べたもので、賛同できない部分もありますが、独特な鋭さが随所に見られ、考えさせられました。
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2013年06月24日 20:19
蘆刈と吉野葛はどちらも谷崎文学の清華だと考えております。
是非、ご一読を勧めます。
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2013年06月22日 21:43
1 週刊誌天皇制
三島由紀夫の慧眼には敬服します。バタイユからあの程度のことしか学べなかったのかと突っ込みたくなりますし、楯の会の軍服も嫌いですが、さすがにこのあたりの嗅覚は天才的です。
現在の皇室のあり方は、まさに上記一言で要約できるでしょう。
とりわけ両陛下は、マスメディアにどのように映じるかを非常に強く意識していらっしゃるように見受けられます。
一見護憲的な発言や(皇太子時代からの)公法学会重鎮の葬式参列などで、左派の歓心を買い。
皇太子時代には、不熱心だった宮中祭祀に先帝陛下以上に熱心に取り組むポーズをとることで右派の歓心を買う(このあたりの巧みな変節について、比較的よく勉強されている
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2013年06月21日 21:18
新約聖書邦語訳は、日本聖書協会の「口語訳」と「新共同訳」だとよく言われます。個人訳では田川建三博士の「新約聖書『訳と註』」(作品社)が注目されます。
旧約の個人訳ですと関根正雄先生の訳業が有名ですよね。
閑話休題、訳文の正確性は別として、名調子という点では、いまだに新約聖書「文語訳」の愛好者も多いです(同時代人には不評だったようですが・・・。)
例えば、こんな調子です「禍害なるかな、偽善なる学者、汝らは預言者の墓をたて、義人の碑を飾りて言う、『我らもし先祖の時にありしならば、預言者の血を流すことに与せざりしものを』と。」
思い当たることがあります。かつて美濃部達吉博士が、一木 喜
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2013年06月21日 17:49
私は、漫画と文芸は同一のスペクトラムに含まれると考えますので、優れた漫画作品も拙ブログでは取り上げます。
「凍りついた瞳」 ささや ななえ著 (YOU漫画文庫) 集英社 1996年という作品があります。
児童虐待を正面から取り扱ったという以外に、私の拙い筆では、表現できません。
正直に告白しますが、いまだに読了できておりません。「重たい」とかそういう次元を通り越しています。
でも、決して目をそむけてはいけないと思うので、必ず完読します。いや、どんなにつらくとも何度も読み返します。
皆さまにも、悲しいという軽薄な表現ではとても表現できないけれども、こうした現実がある以上、一度は読んで頂きたいです
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2013年06月21日 17:33
私は、田中慎弥氏の作品は好きで、刊行されたものは単行本化されていない連載も含めすべて読んでいます。
件の記者会見ばかりが取り上げられていますが、サービス精神があり、誠実に読者と対峙され、一見難解でも実は解りやすい作品を物される作家さんだと理解しています。
田中氏によれば、安倍晋三首相は再登板以前に、同氏に対し、「作品を読んだけど難しかった。」という趣旨の発言をした模様です。
まあ、文学の理解は人それぞれですからそれはそれで構いませんが、申し訳ないけれども、安倍首相は率直に申し上げて頭が悪いと思います。
潰瘍性大腸炎再燃をおそれてかどうか知りませんが、いまだに正式に官邸入りしていないらしいですし
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2013年06月20日 15:23
堀辰雄の「風立ちぬ」は、一部の心無い評論家などから「肺病文学」などと揶揄されたためもあってか、近頃はあまり読まれていないようです。
しかし、洗練された文体や手法から謙虚に学ぶべき点は多々ございます。是非、一度は手に取っていただきたい名作です。
坂口安吾の「風博士」は牧野信一の激賞を受けた佳作です。
坂口安吾の意外な一面を知ることができる作品ですので、同じ「風」つながりで、こちらもご一読をお勧めします。
牧野信一も近年、再評価の動きがあるのは喜ばしい限りです。
とりあえず、比較的入手しやすい作品として、「ゼーロン・淡雪」(岩波文庫)を掲げておきます。
近
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2013年06月20日 15:18
いささかブログ主題から脱線します。
前日本銀行総裁の白川方明氏は、学究肌ながら手堅い実務家でいらっしゃいました。
後任者についてはお気の毒なので何も申し上げません。
ただ、A首相の蔭にいるY代議士は恥ずかしくないのでしょうか?
人間は「分」を知ることが大切です。
東大経済学部を出ようが、一時期大蔵省に勤務経験があろうが、所詮、政治屋は政治屋に過ぎません。
あまり腹立たしいのでつい余計なことまで書き連ねました。
次回からは、ブログ本題の主題に戻ります。
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2013年06月19日 21:48
「大日本者神國也」で始まる神皇正統記は、一般には伊勢神道の強い影響下で、南朝の正統性を主張した書とみなされています。
確かに、そのような理解もできます。
しかし、彼が一貫して訴えているのは、「不徳の皇統は断絶し、有徳の皇統に移行する。」という厳然たる事実でございます。
北畠親房は、立場上、南朝を擁護せざるを得ませんでしたが、彼の理論を突き詰めれば、南朝の消滅も説明できます。
そもそも後醍醐天皇は、大覚寺統でも傍系で、中継ぎとして践祚・即位なさったにすぎませんでした。
ところが、亀山法皇や後宇多上皇の遺志に反し、皇統皇位をご自身の直系にのみ継承させようとなさり、常盤井宮家や木寺宮家を冷遇なさいま
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2013年06月18日 19:44
見るままに壁に消え行く秋の日の時雨にむかふ浮雲の空
あはれさらば忘れて見ばやあやにくに我が慕へばぞ人は思はぬ
どちらも風雅集の進子内親王のお歌です。
古より、女帝、内親王の御作の中には、和歌の清華とも評すべき珠玉のお歌が多いのですが、どちらも個人的に大好きなお歌です。
進子内親王は伏見天皇の皇女としてご生誕遊ばしましたが、悲しいことに、名君伏見天皇の御世のころから、いわゆる持明院統と大覚寺統の対立が先鋭化してもはや収拾不能な事態に陥りつつありました。いまだに真相は不明ですが、伏見天皇弑逆未遂事件まで起こっています。
両統の対立には、単に皇位継承だけでなく、膨大な荘園の配分争いも絡んでいました。
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