たおやめぶり


記事のアーカイブ

2013年06月17日 21:33

「草枕」を巡って。

夏目 漱石に「草枕」という傑作があります。岩波文庫のものが比較的入手しやすいかも。 今回はそれについて少し思いつくことを書きます。 ひところ「必読書150」だの「東大生が新入生にすすめる100冊」だのがもてはやされた時期がありましたが、どちらからも選ばれてませんでした。 最近は、某名門高校の著名教師が「銀の匙」を授業で用いたとやらで、田舎の本屋にも(返本不可で有名な)岩波文庫の「銀の匙」が置かれてます。 なんで、こう日本人は「権威」「看板」「メディア」の御威光に無批判に従うのでしょうか? 自分の読みたい本くらい自分で決めても良いのでは?   「草枕」に話を戻します。 後になって、グル

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2013年06月17日 16:41

日本近代文学の起源と今日の政治。

文芸評論家の柄谷行人氏によれば、日本近代文学の成立と自由民権運動の挫折の間には、密接関連性が認められるとのことです。 ご興味のおありの方は、「定本 柄谷行人集 1巻 岩波書店 2004年」などをご参照ください。 これを今日の政治状況に置き換えてみるとどうでしょうか? 巷では、暫く下火になっていた芥川賞が再度、クローズアップされたり、いわゆる携帯ノベルが書籍化されたり、一見すると文学界は勢いを取り戻しているようにも思えます。 しかし、現実の政治状況はどうでしょうか? 先回の拙稿でも敢えて苦言を呈しましたが、「罹災者の方々の苦悩。」「多くの真面目な原子力研究者の良心の呵責」などをよそにあたかも、「

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2013年06月17日 00:32

文学の考えさせる力。

尊敬する水上 勉氏の短編に、「この冬」という佳作があります(新潮文庫 『醍醐の桜』所収。)。 目の不自由なかつての教え子と再開する話なのですが、その中で、江戸時代から文化水準、教育水準も高く、名君も生み出した若狭の国に、なぜ原発銀座が生まれたのか。なぜ、長い激しい反対運動や村長リコールも含む苦しい騒動を重ねても村民がこのような結果を選ばざるを得なかったのかが、言外に見事に描かれています。 福島第一原子力発電所事故という悲惨という言葉ですら形容できない、最悪の人災のはるか以前にあらわされた作品です。 私は、この事故について、もっと、電力会社、政治家、地方政治家、技術者、研究者の責任は追及されるべ

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2013年06月16日 10:03

三島と太宰。

私は、三島由紀夫と太宰治は両方とも好きなんですが、両者のファン層は一致しないことが意外と多いですね。 個人的には「近親憎悪」的なものだと思っています。 多くの病跡学の専門家が指摘しているように、太宰は「自己愛的傾向」が強い人物でしたし、三島由紀夫も片口安史博士のロールシャッハテストプロトコルにも表れているように、「同性愛傾向」だけでなく、「自己愛傾向」も強い人でした。 太宰は、自分の弱さや自己愛を隠そうとせず、露骨なまでに作品で表現しましたが、三島は、激しい武道鍛錬による肉体強化や、豪華絢爛たる文飾を通じて、自己のか弱さ、繊細さ、ナルシシズムを隠そうとしました。換言すれば、三島文学は華麗な鎧の

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2013年06月16日 09:35

大正天皇と漢詩。

日本文学を語る際に、皇室と文学との関係は決して切り離せません。 近年、特に戦後は、皇室と和歌の関係ばかりが強調されるようになってきておりますが、江戸以前には俳諧を好まれた天皇陛下もおいででしたし、後光明天皇はじめ漢籍に明るい名君も数多くおいででした。 近代以降も、大正天皇の漢詩は素晴らしいです。 「大正天皇御製詩集」明徳出版社 新版2000年 初版1980年も出版されています。 個人的には「西瓜」の御作が好きですが。以下に、やや異色ともいえる詩を引用させていただきます。 政治的背景など感じさせない、日本漢詩の傑作のひとつです。   葉山南園与 韓国皇太子同看梅      不管春寒飛雪

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2013年06月16日 00:53

お勧めサイトです。

「ひばりに寄せて」To a Skylark  nagamiya.sakura.ne.jp/ 「太陽の甦る日」 humming.nobody.jp/gallely/gallery.html 「皇室問題INDEX」設立準備室 blog.goo.ne.jp/index2013 「Mrs Oakley Fisheerの台所から」 mrsoakelyfisheer.blog.shinobi.jp/

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2013年06月16日 00:12

再び如是我聞へ。

如是我聞は、通常、志賀直哉に対する意趣返しの書と理解されていますが、全体を精読すれば、そんな単純なものでないことは明白です。 とりわけ、「二」の学者批判は極めて今日的で。考えさせられます。 以下、特に印象深い部分を引用します。 「田舎者の上京ということに就いてを考えてみよう。二十年前に、上野の何とか博覧会を見て、広小路の牛のすきを食べたというだけでも、田舎に帰れば、その身に相当の箔がついているものである。民衆は、これに一目置くのだから、こたえられまい。」 「外国へ行くのは、おっくうだが、こらえて三年おれば、大学の教授になり、母を喜ばすことができるのだと、周囲には祝福せられ、鹿嶋立ちとか言うもの

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2013年06月15日 23:59

誤解されている太宰。

よく知られているように、太宰治は、青年時代にマルクス主義系非合法活動に従事していた過去があります。 でも、「駆け込み訴へ」で、マルクス主義非合法活動からの離反を、淀みのない口述筆記で表明した太宰はその後も、皇室への畏敬の情を抱きつづけます。 終戦直後の昭和21年1月25日堤重久宛書簡には、 一、天皇は倫理の儀表として之を支持せよ。恋い慕う対象なければ、倫理は宙に迷うおそれあり という記述がございます。 これは、司馬光の「天子の務めは『礼』を行うことにある。」旨の論評(『資治通鑑』威烈王)とも通じるところがり、極めて興味深いです。 また、今日の日本の倫理的、道徳的頽廃を予見していたかのごとき、鋭

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2013年06月15日 23:55

太宰と聖書。

太宰が新旧約聖書を熟読玩味していたのはあまり知られていません。 彼の小品に「パウロの混乱」というのがありますが、これを読むと、彼がいかに聖書を熟読し、ある意味では並みの聖書学者よりも深い聖書理解に到達していたことが解ります。 本当に短文ですが、味わい深い文章です。 是非、ご一読ください。

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2013年06月15日 23:44

明るい太宰

太宰と聞いてみなさんが思いつくのはなんでしょうか? 「人間失格」「斜陽」「ヴィヨンの妻」など、暗くて、自己愛的、厭世的、抑鬱的、そんな影のあるイメージはないでしょうか? でも、彼の作品の中には、「走れメロス」だけでなく、「御伽草子」、「パンドラの匣」などの明るい作品群もあるんです。 そして彼の作品は天真爛漫というか嫌味が全くないんです。若いころ習った義太夫や津軽の民話夜語りも影響しているんじゃないかなぁ。 アンチ太宰の読者の皆様には 上記作品のほか 「女生徒」、「待つ」、「トカトントン」(少し怖いけど)、「右大臣実朝」、なんかを特にお勧めします。 彼の以外な一面に触れることができると思いますよ

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